namtoknaam’s blog

社会的実践家の仏教説法家スパワン師の本を読み解いていきます

その3-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

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スパワン氏の原著

これから、タイの仏教説法家のスパワン・クリーン師の上記の仏教の本を少しずつ訳していきたいと思います。なお、翻訳の許可はスパワン師からいただいています。

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あるいは、真の自由に向かうために人生の牢獄から連れ出す道筋を発見したことになります。これこそ、涅槃であり、苦が尽きた状態なのです。私は、現代に相応しい言葉「清浄」を使います。涅槃よりは耳になじむ言葉になるでしょう。
ブッダの悟りは、人類の最高のニュースであると見なければなりません。なぜなら、何時の時代でも人生の監獄から私達を連れ出すために、苦の消滅を知ることは、導かれて正しくその知恵を用いるときに、不死を知ることになり、それが、苦を消滅させた結果となるのです。
ところが、問題が起こります。善き人物が、自分は魔法を解く言葉を知っていると、ベンガル「虎」にこの良き知らせを述べ、「虎」にしばらく静かにしているようにお願いし、「虎」が元の人に戻れるように、魔法を解く言葉を唱え、同時に法力を具えた杖で身体を指し示しめようとしても、ベンガル「虎」は、はっきりと、それは真理ではないと述べ、自分は元からずっとベンガル「虎」だった、別の何かに戻る必要はないと言い返すのです。このように、ブッダの教えが必要でない人もいます。ブッダの教えは必要ない、人生の成功に対し重要ではないと考えているのでしょう。お金が十分貯めれば、成功したと考えるのもいいでしょう。また、宗教よりも科学の真理に信頼する人達がいます。宗教とは、確かめられない、馬鹿なことにうつつを抜かすものと考えています。このような人々は、暗い部屋に居続けているか、サングラスをしているか、門や窓をピッタリと閉ざしているかのようです。自分の人生に知恵の光が入ってくるのを許さないのです。すごく可愛そうな人達ですが、社会の大多数がそうであり、人として生まれながら、仏教に出会わず、もう一度、運良く人として生まれ変わり仏教に出会うまで、長い間、人生の牢獄にいなけれなりません。
天国に行くためにお布施を積むことを望み、運を信じ、天国で天使やブラフマーの神々に生まれることを望む人もいます。天国に行けば、気を病むことなく幸せで、苦難に会うこともなく過ごせるだろうと。