namtoknaam’s blog

社会的実践家の仏教説法家スパワン師の本を読み解いていきます

その11-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

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スパワン師の原著

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物事の両極端は正しくない、すなわち、苦行や必要以上に食べることは不適切であると。これは、涅槃がどの方角にあるかを前もって方角を言っているのと等しいことでした。続けて、正しい行為は中道を歩まなければならないと述べました。もちろん、歩くときに道の真ん中を歩くという意味ではありません。それは、「正しい見解(正見)を持つ」から始まり、「正しい瞑想(正定)に集中する」で終わる、8つの実践徳目である八正道を意味します。
 話題を広げてから、ブッダは、四聖諦のテーマに入っていきます。話題を狭めていくプロセスです。何故なら、その時代の人々は、それぞれ、生老病死に打ち勝ち、いかに幸せになるかのすべを知る必要があったからでした。従って、四聖諦のテーマは、その時代、人々が本当に知りたいと関心があるものでした。何故なら、ブッダは、出家僧のウパカを教訓として、人々が関心を示すことを話さないと、去ってしまうことがあることが解っていたのです。そこで、人々に興味のある事をテーマにして説法をしたのです。「「苦」があり(四聖諦の1番目)」、その「「苦」には原因がある(四聖諦の2番目)」という話題は、詳細を話しても人々の関心を呼ぶものでした。ブッダは、周辺の少し広い話題から説法することにしました。すなわち、「苦」の例として生老病死があることを話し、最終的に、欲望(煩悩)への執着について話しました。それは「苦」の詳細について話すことでした。
 「「苦」は滅することができる」という四聖諦の3番目まで来ると、ブッダは、すぐに発見した真理の話題に入っていきました。最高の真理の発見とは、人の命は宇宙のすべてに繋がっていることを意味します。ブッダは、その真理の状態とは「苦」を消しさった状態であると述べることで、自己に由来する「苦」の話題を宇宙合一の真理に重ねて説法したのです。その後、「苦」を滅する唯一の状態こそが、それ自身、最高の真理となり、さらに「「苦」を滅するまでのが方法」が、四聖諦の4番目の話となり、八正道の実践の話に繋がるのです。
四聖諦では、ブッダが「「苦」がある(四聖諦の1番目)」という結果を、「「苦」には原因がある(四聖諦の2番目)」という原因、四聖諦の3番目の「苦」は滅することができる」、四聖諦の4番めの「八正道の実践」の前に置いたことはと、明らかに見て取れます。科学では、結果の前に原因が来なければならないですから、異例のように見えます。