namtoknaam’s blog

社会的実践家の仏教説法家スパワン師の本を読み解いていきます

その6-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

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スパワン師の原著

これから、タイの仏教説法家のスパワン・クリーン師の上記の仏教の本を少しずつ訳していきたいと思います。なお、翻訳の許可はスパワン師からいただいています。

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第2章 何故、原因の前に結果が来るのか


前の章では、私は、ブッダが人間に善いニュースをもたらした涅槃について、明確なイメージで理解できるように話しました。すなわち、私達は本当は「虎」ではないのに、仙人が「虎」に変えてしまったため、人生の目的が、人に戻る道を探し求めること、あるいは、人生の牢獄から出ることになったということです。この章では、目的(結果)と方法(道程)を特に取り上げ、お話しします。ブッダの覚りは、彼が覚りのプロセス(道程)を会得する前に、覚りの結果を会得したことに特徴があります。このことは、知識ある人は誰でも、仏教の本当の核心を見るために、明白に理解しなければならない重要点です。つまり、この涅槃というのは、ある男性がふいに偶然、森に入って、不死の甘露(アムリタ)の池を発見してしまい、思わず飲んで不死の命を得てしまったという風な、明確なイメージで受け取るほうがいいでしょう。男は、このアムリタの水のことを知ったことで、人々にもこの水は大きな益があると考えました。そこで、道なき道を跛行して、地図を作成し、アムリタの池に行く道を迅速に明らかにしようと探求します。森から出て、彼は、このアムリタの水のことを他の人々に話します。行きたい人々に地図を渡し、道を説きます。ブッダが覚る前は、人間の社会は暗黒に満ちていて、事の道理や人生の目的、真理とは何か、本当に苦が焼尽するとは何か、そのためにはどうしたらいいかを、誰も知りませんでした。インドのその時代に生まれたブッダは、回り道をしながらも真理を追求しました。あるときは淫欲にふけり、あるときは自分をいじめ抜き、あるときは瞑想の平安の中で考察をしたりして。