namtoknaam’s blog

社会的実践家の仏教説法家スパワン師の本を読み解いていきます

その10-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

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スパワン師の原著

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つまり、覚りを得た者とは、すべてを知る者であり、覚醒した者であり、祝福を得た者を意味し、ブッダの真の特徴を示していました。いずれにしても、ウパカに対して話したことは、ブッダが解脱したとを初めて世に知らせる内容でした。こうする前にすでにブッダが予想したとおり、説法しても信ぜず、代わりに舌を突き出され、更に大いに笑いものになったのでした。
 この出来事は、人々に説く説法の方法を、もう一度ブッダに思い巡らせたのかもしれません。この出来事こそ、ブッダが人々に最高の教えを理解させるには、何をいかに説法すべきか、思考を巡らし始める契機となりました。ブッダの説法プランは、森から出てきた男が、他の人々も不死の甘露(アムリタ)の池に行けるように地図を書くようになったきっかけのようなものでした。つまり、ブッダの説法のすべては、人々が涅槃、あるいはブッダ自身の覚りを知る助けるになる道程の地図なのです。少し異なるのは、説法が人生の地図であることです。このよく練られた最初の説法行為は、後に初転法輪と呼ばれ、初めて仏教の教義を人々に説いた出来事になります。出家僧のウパカと別れた後、ブッダは、かっての修行仲間の五比丘に会う前に、説法についてよく考えて説くことを練り、周到に準備したに違いありません。解脱する条件を知ることは、不死の甘露(アムリタ)の池がどこにあるか知ることと同じです。他の人がそれについて知るように説くには、まず、広大な周辺について話す必要があります。それから、少しづつ、狭めていくのです。もし、スワンモック寺(プッタートとい偉大なタイの僧が瞑想修行のために開いたお寺)に行くのでしたら、まず、南の方角に行かねばなりません、スラタニー県に行き、チャイヤー郡まで行き、チャイヤーから東の道路に沿って行きますと、スワンモック寺が右手に見えますと、人に説明するようにです。あるいは、ある男が、不死の甘露(アムリタ)の池は森の東の方向です、ですから西や北や南の方向に言ってはいけません、何故なら、方角を間違うと、後で引き返したとしてもとにかく時間の無駄になりますと、人に説明するのと同じです。
従って、初転法輪の説法では、四聖諦の話題に入る前に、ブッダは、まず、次のことに注意するよう述べました。