namtoknaam’s blog

社会的実践家の仏教説法家スパワン師の本を読み解いていきます

その9-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

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スパワン師の原著

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-出家僧よ、あなたの肌はみずみずしく、身体は白く明るく澄んでいる。どなたの流派に属しているのか。どなたがあなたの師なのか、どなたの名高い教えに接しているのか。

ブッダは、彼の人に求められるまま正直に、真実に即して答えました。

-私は、自ら覚った者であり、すべての欲望(煩悩)を征服した者である。自分自身を十分に知ったものであり、知って把握した者である。多くの俗世間の事柄に関わろうとしないつもりだ。私は、欲望(煩悩)を解脱し、自分自身の死生輪廻のカルマを断った。このようであるから、私の師である人を名指すことはできない。世に私のような人はおらず、私と比較するような人はおらず、阿羅漢(最高の悟りを得た人)となった。私以上の師はなく、私一人が真のブッダであり、欲望(煩悩)の炎を消した者である。私の教えを広めるためにヴァーラーナシーに赴こうとしている。不死の教えを鳴り響かせんとしている。

出家僧のウパカは、まったく尊敬の念を示さずにブッダの言葉を聞き、次のように述べました。

-先輩よ、あなたは、最終的に解脱した勝利者でないのに、実にあたかも大きな事を言っているのじゃあありませんか?

覚っているブッダは、真実を語っていると答えました。

-そうでしょうね、先輩。師なくして、自ら無上を知り得た独覚なのですね。素晴らしすぎますよ。

出家僧のウパカは、嘲る口調で述べ、ちょっと舌を出し、頭を揺らして避けるように去っていきました。おおぼらを吹くと思いながらです。
実際のところ、ブッダは、真実以上のことは何も言っていませんでした。独覚とは、師なくして自らの力で覚った者の意味です。